合気道の理念

2018.06.06

[師範独白]

品川合気道愛好会・合気道円友会・神奈川大学合気道部 師範の川尻耕三先生より、『合気道の理念』を頂戴しましたので掲載させて頂きます。

 

写真は植芝盛平翁先生の受けを取られている川尻師範(当時学生)です。

 

『合気道の理念』

 

合気道の「合気」は文字通り「気を合わせる」ということです。「気」という語は日常語で、空気などの見えないものや心の動きなど多義ですが、その意を全く「気」にしないでごく自然に使用していますので、合気道で言う「気」はどういうことか定義しておく必要があります。

そこで、合気道で言う「気」とは「心」と「体」を結ぶ働きである、と定義することにします。「心」と「体」とを結ぶ働きなので実体はなく、しかも無意識の働きであるので、実感としてなかなか捉えられないことです。

 

しかし、「心」と「体」との間に「気」という概念を入れなければ、合気道の本質を理解できません。

 

合気道は「気を出す」ことによって、「心」と「体」を結び、気の働きにより体を動かすことで技(業)を生む武道であると言えます。心身鍛練の用語として「心・技・体」という言葉がありますが、合気道はそれに「気」を加え(「心・気・体・技」とする)、体を動かして生み出す技が、相手との間で「合気」に適うように鍛錬することを目標としています。

 

「心・技・体」と言われている場合の「心」は主に「精神力」としての意味が強いですが、合気道の場合の「心」は、むしろ「調和」とか「和合」と言う真心を重要視しています。

「合気」の「合」はそういうことで、開祖は「合気」の「合」は「愛」に通ずるとも言われています。

 

体を動かして生み出す技が、相手との間で「合気」に適うようにするには、先ず自己自身において「合気」となっていなければ、相手との間で「合気」が成立する筈はありません。

 

自己自身における「合気」の鍛錬こそが先決であると、開祖は強調されています。

 

それには、「合わせる」という心をもって自己の中心から「気を出し」、その中心からの「気の流れ」に自己の五体(頭・首・胴・手・足)が沿うように統一させ、中心から気を出し続けながら五体を動かすという動作(円転の動き)が必要です。

 

合気道で言う「気を出す」と言うことは、「気」そのものが上記のように実体のない無意識の働きなので、なかなか実感できないことですが、本来は誰でも保有している潜在的な働きです。これを自己の体に顕在化させることが「気を出す」ということで、それによる流れ、つまり「気の流れ」こそが心と体を結ぶ働きをしていると言えます。

 

一方で、その流れを止めたり流れにくくする要因が、自己自身の心と体でもあります。 気を出しているつもりが、「気の流れ」が生じていないという事態、例えばいわゆる「力み」が生じるとそのようになります。

 

合気道は「型稽古」だと思われがちですが、「型稽古」では体を動かす技の形だけの稽古になってしまい、心と気が抜けてしまいます。

合気道の本質は、第1に「心」、第2に「気」、第3に「体」、第4に「技」の順にあり、自己自身の心と気と体を上記のように「合気」とした上で体を動かし、そして、相手との間で「合気」となる武道としての技を時々刻々に生み出すことにあるとみるべきです。

 

開祖が「武産合気(たけむすあいき)」と言われた所以もそういうことにあり、「合気道は形ではない」と開祖は明言されています。